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足利氏のルーツ
大藤や相田みつを

旧安蘇(あそ)郡
秀郷ゆかりの地

旧安蘇郡。生命の
歴史が身近なとこ。

巴波(うずま)川を
軸に発展 蔵の街
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遠い昔 このあたりは 安蘇(あそ)と呼ばれておりました。
現在の佐野だけではなく、どうやら 北西の足尾銅山のあたりも
安蘇郡であった時代も?あるらしい。

〜  台風19号にて たいへんなことになってしまいましたが・・・
どうぞ 安蘇の名の下で
安らかに 穏やかに 力強く
蘇っていきますよぅ☆☆☆  
もちろん ほかの被災地のかたがたや自然も ともに☆〜

東南の三毳(みかも)山や 西の秋山川は 
万葉集にも 詠われ

平安の世 940年に 
今も皇居鬼門にまつられる「平将門」を
 討った側の 藤原秀郷 に 統治された地域。

地図上では
東京と日光を結んだ線と、水戸を西に延ばした線が
交差するあたり、
関東平野が 山になっていく地域です。

山城 唐沢山城のおこりには 秀郷はじめ諸説あるやもしれませんが
いずれにせよ、戦国時代 非常に攻め入りにくく
唐沢山城跡の石垣等々 今も その名残を感じることができます。

山城禁止令により 
(幼いころ、唐沢城跡に住む女性から 禁止令の発端自体が唐沢と耳にしましたが?)
現在の佐野駅北へと佐野城を移転途中に
1614年 佐野氏は 廃止され、
場所によっては 幕府や彦根藩等々の統治を受けるなど
複雑な時代を送ります。

おとりつぶしの理由は 他にあるようにも言われていますが、
この年起こった大坂の陣の発端となる 京都の方広寺の鐘を作ったメンバーに
なんと 佐野 天明の鋳物師たちが 39名もの大人数で関わっているとか。

久能山から日光へ 家康公の亡骸が移られる際にも
佐野天明にある 佐野厄除け大師に その棺が滞在されたとか。
寺の住職は 家康の側近天海の弟子だったのだそう。

明治時代、足尾鉱毒事件のために
天皇へ直訴した 田中正造が生まれた町でもあります。

歴史上も、いまの素顔も
アウトレットさのまるラーメン・・・等以外は
あまり 聞こえてこない佐野。

この夏(R1)、全国の最高気温でも トップ3入りを何度かしているのに
少なくとも 今私の住む名古屋では名前が挙がってこない(苦笑)
林立してきているメガソーラーの影響でなければよいけれど。。。。
(更に観測地点より北(奥)のほうが格段に大きなメガソーラーが多い。。。)

半分以上を遠方で生きている自分ですが・・・
父方祖母も母も 佐野の市街地で生まれ育ち、
私自身も駅近くにあった産院で生まれた身。

亡き父譲りで 撮りためた写真を織り交ぜて
私の目で見た 故郷を おしゃべりさせていただきます☆


詳細は 佐野市公式ホームページや 各自治体の観光協会さんHP等も
是非ぜひ ご覧になってくださいね☆
(佐野北部のお店や行事は、<あそ商工会>さんHPも 是非ご参考に☆)


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